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川上建設について
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History
川上建設の歴史
戦後の混乱期 間もなく、焼け野原の復興、復旧工事に力を注いだ日々
1947年 昭和22年岡山電報電話局(現NTT西日本)の仮設局舎建設に取り組むことが決まり、
倉敷市連島町連島の自宅で川上建設をスタートさせました。
その後、岡山県の政策を受けて川崎製鉄所(現JFE)を始めとした鉄鋼や石油化学などの工場が誘致され、水島へコンビナートが形成されてくるようになると、
そこで働く人たちの住まいの場所が水島全体へ広がり、
ますます住宅需要が高まり、人口も増え、活気ある街へと発展したことから、
創業20年目 1968年 昭和43年に川上建設が誕生しました。
その後木造住宅から工場や店舗、ビル等も手がける総合建築業 川上建設株式会社へと組織変更出来ましたことで、念願でもありました、子供たちの学びの場 地元連島東小学校、連島東幼稚園の建設へ携われることができました。
以前より、川上建設と地元連島地区で育った子供たちとの関りは深く、
子供キャンプやバーベキューと言ったレクリエーションイベントを企画したり、
軟式野球チームを立ち上げ、地域13校の中で優勝したことは今でも忘れがたい思い出です。
倉敷市の西部、高梁川の東岸に位置する地区では、太鼓を乗せたおみこしの事を千歳楽(せんざいらく)と呼び、子供から大人まで一緒に担いで練り歩くお祭りが今でも行われています。
千歳楽の手木の整備のお役目をお任せいただいておりますのも有難いことです。
今までも、そしてこれからも、
「地域の人と共に」「地域に愛される街づくり、住まいづくり」に取り組み続けて参ります。
1947年 昭和22年岡山電報電話局(現NTT西日本)の仮設局舎建設に取り組むことが決まり、
倉敷市連島町連島の自宅で川上建設をスタートさせました。
その後、岡山県の政策を受けて川崎製鉄所(現JFE)を始めとした鉄鋼や石油化学などの工場が誘致され、水島へコンビナートが形成されてくるようになると、
そこで働く人たちの住まいの場所が水島全体へ広がり、
ますます住宅需要が高まり、人口も増え、活気ある街へと発展したことから、
創業20年目 1968年 昭和43年に川上建設が誕生しました。
その後木造住宅から工場や店舗、ビル等も手がける総合建築業 川上建設株式会社へと組織変更出来ましたことで、念願でもありました、子供たちの学びの場 地元連島東小学校、連島東幼稚園の建設へ携われることができました。
以前より、川上建設と地元連島地区で育った子供たちとの関りは深く、
子供キャンプやバーベキューと言ったレクリエーションイベントを企画したり、
軟式野球チームを立ち上げ、地域13校の中で優勝したことは今でも忘れがたい思い出です。
倉敷市の西部、高梁川の東岸に位置する地区では、太鼓を乗せたおみこしの事を千歳楽(せんざいらく)と呼び、子供から大人まで一緒に担いで練り歩くお祭りが今でも行われています。
千歳楽の手木の整備のお役目をお任せいただいておりますのも有難いことです。
今までも、そしてこれからも、
「地域の人と共に」「地域に愛される街づくり、住まいづくり」に取り組み続けて参ります。
Building a house
川上建設の家づくり
家づくりは人生の
一大イベントです。
家を提供するだけじゃなくて、
その先の豊かな暮らしを提供する、
人生の大切な1ページに
携われる喜びを胸に、
長くお付き合いをさせて
いただきたいと思っています。
まずはご自身の理想を
お話しください。
笑顔で完成の日を迎えられるよう、
私たちも一緒にお手伝いいたします。
その先の豊かな暮らしを提供する、
人生の大切な1ページに
携われる喜びを胸に、
長くお付き合いをさせて
いただきたいと思っています。
- キッチンからリビング全体が見
渡せる家にしたい - ゆっくり本を読むことができる
空間が欲しい - ペットが走り回れる広めの庭が
ほしい
まずはご自身の理想を
お話しください。
笑顔で完成の日を迎えられるよう、
私たちも一緒にお手伝いいたします。